川﨑染工場の始まり

 調査・製作中

化学染料の発明

 明治時代半ば、ドイツで「化学染料」が発明されてから、紺系の色は藍染にしか出せないものから、より簡単に、より安価に出せるものになりました。時代の流れで天然藍染による染屋としては廃業を余儀なくされましたが、十代目当主までは化学染料を使用した染めや、京都へ送って染めてもらう仕事などをしておりました。

 しかし、十一代目当主になるはずだった川崎昭三は教員の道にすすみ、川﨑染工場は一度、完全な廃業を迎えました。

昔の作業着

後編へ続く